A M C O 知見ライブラリ
☆ 現場に宿る知、未来へつなぐ普遍工学 ☆
July 7th, 2025:Grand Open
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★25-08-05:本日公開★
”四つの話”を改め” 四つの窓 ”
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特別寄稿
Special Guest Essay
Mr. Niels Roed
Procurement Executive/Former Managing Director
APM Crane & Engineering Services
ニールス・ロード 氏
元APMクレーン&エンジニアリング社長/調達プロフェッショナル
Roed-san
at the Shanghai Maersk Office (2018)
航海の前に(Before the Voyage)
なぜ私が、このライブラリを始めようと思ったかというと、それはやはり「AI」の登場である。
世の中、親方日の丸で始まった「働き方改革」、あるいは「人出不足」のせいか、とかく事故が増えた(あきらかにケアレスミスという意味で)と、新聞・TVを見るにつけ思うからである。
思うに、いくら「AI」が進化して人間の仕事を熟すとしても、彼らが「現場」に出て働くことは、まずない。例え製造現場に優秀なロボットを並べても、必ず「Trouble」は起こる。それに対処するロボットも作れば良い、といっても限度がある。最後は、生身の人間が臨場せねばならないだろう。
その時、その「Trouble」を時間・費用・結果的に巧く対処できるか否かは、その人間の力量次第であり、経験に基づく知見が要る。例え、それらをビデオに撮って、AIに覚えさせたとしても、常に機器は進化を続け、その結果現場は変遷していく。また地政学的にも、必ず千差万別が現実である。
そこで私の経験に基づき、「普遍工学」と銘打って、「知見ライブラリ」を始めるものである。 (注:分野を越えた“ものづくりの原理”を見つめ直す思考法、それが私の言う『普遍工学』である。)
これは私事ながら、学業に倦んだ高校時代、想いつくまま学園祭で「竹の船」を作って以来、気がつけば半世紀以上「船がらみ」で飯を喰ってきた私が、最後に手掛ける「もの造り」である。それは同じ仕事仲間の知見を集め、それを世の中に提供し、ついては次世代へ引き継ぐ「もの」である。
船は、荷主と船主と銀行がいて、造船所とメーカーが造り、第三者の検査を受けて市場へ送り出す。
船が運ぶ「もの」は、社会に必要なありとあらゆるものであり、また人間そのもの。船には目的があって、それを大勢の創意工夫を集めて造り、大勢の力を集結して安全・安心に運行すべきものである。
この「知見ライブラリ」が、すべからく「船を造る知見」をして、少しでも社会の役に立つことを熱望する。そのために、ひとりでも多くのロートルの知見を集め、それを集約していきたいと考える。願わくは、この試みがこれから引退する諸君の励みとなり、次世代の若者の参考になれば幸いである。
2025年5月吉日
AMCO代表 小林 正典
「船を造る」というのは、あまり耳馴染みのある話ではない。ただ「ものをつくる」といえば、それは一般的であり分かり易い。故に、「ものづくり」の参考となればと思い、以下に知見を述べていく。
船は運ぶ荷や航路によって「船種」が違う。だがそれは筋が違うので、ここは「造る」に集中する。
船を造る工程は、おおまかにいって「設計」・「建造」・「進水」・「艤装」・「試運転」と続き、その全般に置ける「検査」に合格して、初めて「引き渡し」となる。ただこれも、いわゆる「ものづくり」の過程としては、あらゆるものに共通した工程であり、船の場合は、それが大がかりな点だけ他とは違う。
私が初めて設計したのは、コンテナ船であった。もちろん船の場合は建築と違って、ひとりで設計することはない。設計も「計画・基本・艤装・船殻・配管・電装」など、多岐に渡る。
思い出深いのは「カリブ海向け」のコンテナ船である。契約早々米国は New York から、高名な設計会社の若手技師が造船所に赴任した。さっそく建造仕様書に基づいた「承認図」を出すと、監督室に呼ばれた。そこで監督に言われたのは、「この図面では小さいので書き直せ」だった。
出した図面は Galley(=賄室)配置図。カリブ海向けの船で、Range・Heater・Ovenなど、乗組員三十数名の船だけに、けっこう広い部屋だが、機器が所狭しと並んでいた。それをA3の紙に”1/100”のスケール(2mのTableが図面上20mm)だった。これを監督は「”1/10”で描け」という。つまり2mのTableであれば、図面上で200mm(20cm)となり、A0の紙が必要だった。
私は抵抗したが、監督の言うことは絶対。それに追加で、部屋全体の図面とは別に「各機器の切り絵を用意しろ」と言う。数日後、それを持っていくと大きなテーブルに広げて、要は”福笑い”である。目隠しはしないものの、料理人の動線に従って、最も効果的な機器の配置を探り出したのである。
この経験は、その後長く私のキャリアーを支えてくれた。それは、設計する者は機器の用途を覚え、それを使う人の使い勝手を考え、現場に沿った図面を描かねばならない、ということである。その心構えは、大学で教わった?かも知れないが、現場で見る彼の手法は、まだ20代前半であった私の脳みそを大きく揺らした。以来私は、なにごとも”現場重視”を旨とした。「三つ子の魂、百までも」ではないが、今もあの技師に感謝している。
正にこの様な経験を、次世代の設計者に伝えていきたい。
(了)/文・小林正典